お金と時間をムダにした? スーパーグローバル大学の学生にメリットは無かった

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皆さんは「スーパーグローバル大学」を知っていますか?
その対象となった学部学科やコースを受講している学生は知っているでしょうが、それ以外の学生は全く知らない人も多いことと思います。

概要は文部科学省のホームページにあります。
スーパーグローバル大学創生支援事業(文部科学省)

ウィキペディアにはこうあります。

スーパーグローバル大学とは、日本国外の大学との連携などを通じて、徹底した国際化を進めて、世界レベルの教育研究を行う「グローバル大学」を重点支援するために2014年(平成26年)に文部科学省が創設した事業であり、支援対象となる大学。

https://ja.wikipedia.org/wiki/スーパーグローバル大学

2014年当時は、大学界では大きな問題だったんですよ。
しかし、その内情は「グローバル」でも「国際化」でも「教育力強化」でもなく、たんなる助成金(大学の経営を助けるための補助金)を獲得するためのアピール合戦でした。

スーパーグローバル大学の失敗を予見し、その実情を指摘していた人は、以前からいました。
興味がある人は以下の引用先もご覧ください。

まず、日本の大学の「制度」が世界基準ではないのに、教育方針だけ無理やり国際化したところで無意味というもの。

その大きな要因の1つに、入試制度が世界標準ではないことが挙げられる。

アメリカでは、Common ApplicationやUniversal College Applicationなど、ハーバード大やプリンストン大など、数十、数百の大学が共通のプラットフォームで学生を募集する仕組みが確立している。学生は、学業成績、課外活動の履歴、テストスコア、エッセイ等をインターネット経由で提出すれば、合否を受け取ることができる。しかも、一度に複数の大学に提出できるので、何度も自分の名前や住所を書く手間もない。
(中略)
日本では、「インターネット出願」が流行り始めているが、それはいわゆる「願書」をWebで出せるというだけで、入試プロセスの全てがオンライン化されているわけではなく、いまだに受験料の支払い領収書は郵送しなければならない場合などもある。この流れのままで、世界各地にいる優秀な人材をリクルーティングできるわけがない。日本の大学に入学するために、わざわざ手書きで願書を書いて、書類を整えて国際便で送付するような奇特な人は極めて少ないのだ。

「スーパーグローバル大学」の意外な盲点

たんなる、日本国内に向けた高校生向けのアピールでしかないということですね。
当然の結果として、そうした国内向けのアピールは「グローバル化」には寄与しませんでした。
それが以下のこと。

「世界に遅れをとるな!」
「ガラパゴス化を防いで、グローバル化を目指せ!」
というスローガンは一見、正論に思え、異論を挟む余地がないように考えられがちである。しかし、もっともらしい標語ほど性質(たち)が悪いものである。
(中略)
一般に「世界大学ランキング」と称される、毎年、英国の教育専門誌が発表する指標を見てみる。SGUがスタートした14年に、そのトップ100に入っていた日本の大学は東大と京大の2校で、順位はそれぞれ23位と59位だった。ところが翌15年のランキングでは東大が43位、京大は88位と、いずれも大幅に順位を落とし、東大はアジア首位の座をシンガポール国立大に奪われてもいる。新たにトップ100入りした日本の大学もない。皮肉なことに、世界大学ランキングにおける順位アップを目指してSGU制度がスタートしてから、日本の大学は国際的な評価を低下させてしまったわけだ。

文科省がグローバル教育を打ち出した結果、東大の世界ランキングが下落

そもそも、日本の大学経営者や高校生は、「グローバル人材」がどういう人材なのか知りません。
「グローバル人材」がどういうものか知らず、ブームに乗って「スーパーグローバル大学」に進学したところで、グローバルに活躍する人間になれるわけがないのです。

マッキンゼーの共同経営者を経て慶應SFCの教員に、といういかにもグローバルな経歴の上山信一教授が、日経ビジネスオンラインに書いた<「グローバル人材」なんか育成したって育たない!>だ。
上山教授は、日本企業が独力でグローバル企業になること自体、難しいと言う。
激烈なグローバル市場で生き抜く<最善の方法は、海外の大手企業と経営統合することだ>とし、人材についてもこう言い切る。
<日本からグローバル人材を輩出したいのなら、ホンワカした日本企業に、グローバル市場での戦い方を知っている外国人をどんどん受け入れることだ。それも上層部に入れる>
突然やってきた外国人経営者は、勝つための手段を選ばない。働く日本人は、<うっかり騙され、会社を乗っ取られそうになるかもしれない>とさえ言う。でも、そのぐらいの荒療治をしないと、グローバル化する世界には住めないらしい。

文科省選定の「スーパーグローバル大学」はやっぱり無意味?

スーパーグローバル大学には、さらに大きな問題があります。
これは各大学が巧妙に隠していて、ネットニュース等で現れていないのですが、「学級崩壊」状態になっている大学があるのです。
「グローバル人材の育成」どころか、まともな大学教育が展開できていないんですね。
一部の大学ではそれが非常に問題になっています。

具体例としては、私語が多発して講義が成り立たないとか、授業の内容が全く理解できないとか、私生活でトラブル(男女関係や近隣住民の苦情など)が頻発するといったことです。
スーパーグローバル大学に採択された大学は、いずれも優良大学だと考えられていますが、まるで「底辺校」と称される大学の様相を呈しているのです。

どうしてそんな事が発生するのかと言うと、できるだけ「グローバル」な人材を入学させるために、入試がいい加減だったのです。
具体的に言えば、「英語」の点数がやたら高いとか、ネイティブレベルであれば入学できた人が結構います。
しかし、英語ができても大学の授業が受けられる知能レベルとは限りません。

逆に考えてみましょう。
例えばオックスフォード大学とかイェール大学といったところが、大学を「ジャパニーズ化」するという方針を打ち出し、「日本語がネイティブレベル」であれば入学を許可すると言い出したらどうでしょうか。
そこに入学を希望する人は、これらの大学で勉強して卒業しようという、高い意思を持った学生なのでしょうか。
そんなわけありませんよね。

日本語ができても大学の授業が受けられない人がいるのと同様、英語ができても大学の授業が受けられない人はいるものです。
しかも、日本の大学は「授業についていけない」という学生を簡単に留年させたりはしません。
言い換えれば、入学さえすれば、卒業が簡単な方式を採用しています。これは善悪の話ではなく、制度の話です。

上述したネット記事でも指摘されていましたが、日本の大学の制度と「グローバル基準」に差がありすぎるのです。
そこを埋めずに始めたものだから上手くいくわけなく、結果として大学ランキングも落とすことになったわけですね。
さらに、「英語が得意だから」良いだろうと入学させた学生の知的レベルは低く、本来の大学の授業が受けられない状態にあります。
これも以前から指摘されていたことです。

英語教育の専門家でNHK『ニュースで英会話』講師であり、『本物の英語力』の近著がある鳥飼玖美子氏も、英語教育政策のおかしさを指摘する。
(中略)
「グローバル人材育成を目指すということで、大学でも英語で行う講義の数を増やすよう求められていますが、専門科目の講義を英語で聞いて内容を十分に理解できるのかが問題。グローバルというなら、留学生のために日本語教育を充実させることが大切だし、学生たちが英語以外の外国語を学ぶことも必要です」
英語偏重が昂じれば、教養科目の半分以上で英語での講義を目指すと宣言した京大の例をさらに「スーパーグローバル化」し、「半分以上」どころかほぼ全講義を英語で行うと謳(うた)う大学も出てきかねない。そうなれば、その教育を「日本の大学」が担う意味は、もはやそれほど残っていないのではないだろうか。そして、全講義を外国語である英語で行う日本の大学と、英語を母語とする米国や英国の大学のどちらが、質の高い英語(母語)での教育を行えるかは考えるまでもない。

英語での講義は内容のレベルを落とさざるを得ない

つまり、「英語だけで学ぶ授業」を増やすことは、授業のレベルを下げたことと同義なのです。

2019年は、スーパーグローバル大学の成果が問われる最初の年になっているはずですが、この事業によってグローバル人材が育成できたか否かを問う動きはほとんどありません。
どこも薄々感じているのでしょう。
スーパーグローバル大学にしたからといって、実態はグローバルになっていないのだと。

むしろ、スーパーグローバル大学事業を展開することによって、当の学生たちは質の低い授業・教育を受けたことになっている可能性が非常に高いのです。

時勢に惑わされず、地道に勉強をする。
それが大学生にとって大切なことだと思います。
多くの日本の大学生諸君は、グローバル人材などに惑わされないようにして、目の前にある課題に実直に取り組んでいきましょう。

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