「インスタ映え」の次が「チル」。じゃあチルの次は?|盛り→チル→「奉仕」/チルの次は奉仕です

その他

インスタ映えで「盛る」のを控えて、のんびり「チル」をアピール

2017年の流行語大賞にもなった「インスタ映え」。
いわゆるフォトジェニックな状況を利用して、自分を「盛る」ことが若者を中心としてブームになりました。

しかし、昨年からその「インスタ映え」も落ち目となり、「インスタ萎え」と呼ばれるフォトジェニック疲れが指摘されています。
代わって台頭してきたのが「チル」

チルとは、のんびりリラックスしている姿をSNSに投稿することです。
語源は英語の「chill out」で、落ち着く・リラックスするの意味があります。

インスタ映えする写真投稿と違うのは、積極的に「いいね!」などの反響を得ることを意識したものではなく、「映え」の舞台裏で、落ち着いた時間を過ごしている自分がいることをアピールする事のようです。

つまり、これまでSNSに投稿されてきた写真は、普段より背伸びした自分を見せる「盛り」の要素が強かったのですが、昨年からそれに「チル」を見せることで、地に足の着いたSNS利用が試みられています。

結局のところは、非日常的状況を日常的状況のようにアピールする「盛り」であることに違いはない

「リラックスしている姿を投稿する」といっても、どうやら本当に自身がリラックスしている状況を投稿しているわけではなく、
「これを見た他者は、私が充実した時間を過ごせていることに羨ましさを覚えるであろう、だけど、それほど嫌味の無い無難な写真」
を公開することのようです。

つまり、結局のところはライフスタイルのアピールであることに変わりはありません。
ただ、そのアピールの仕方に「積極性」があるか否かということになります。

結婚式における、披露宴と二次会の違いみたいなものでしょうか。
最近は結婚式の二次会も減ってきて、披露宴が二次会化しているようです。
こういう社会的な変化は、SNSにも連動している可能性はあります。

インスタ映えとチルという現象は「応接間」で説明できる

そもそも「インスタ映え」や「チル」は特別なアピール現象ではありません。
ずっと以前から、これに相当する行為はありました。
さっきの例で言う「結婚式」もそうですし、企業のコマーシャルもそのような側面を持っています。
つまり、映えた写真により「盛った」姿を見せて「いいね!」を稼ぐと同時に、
「チル」によって(あくまでアピールとしての)日常的な姿を見せることです。

そのように考えると、SNSは現代における自宅の「応接間」としての機能があると言えます。
応接間とは、自分の家の「他人に見せていいもの」や「ちょっぴり自慢したいもの」を置いておく場所です。
それによって、自分がどのような価値観を持っているのか示し、同時に、自分自身の存在の価値をアピールしています。

例えば、応接間にはしばしば貴重な調度品や絵画を飾る一方で、
家族写真とか孫や子供が作った工作品や絵が混ざっていたりします。
これらは、来客者に対し我が家が「映え」るように意識すると同時に、
そこにホッコリした日常もあることをアピールするものです。

SNS上の「盛り」と「チル」は、これをネットでやっているに過ぎません。

現在のSNSという応接間に足りていないのは「奉仕」

SNSの機能を「応接間」であると解釈した場合、
「盛り」と「チル」の次に若者がたどり着くのは、サービス、つまり「奉仕」だと思われます。

どういった呼称になるのかは不明です。
「奉仕」ではなく、ボランティアを略して「ボラ」かもしれません。

応接間での来客者へのサービスと言えば、
例えば「お茶やお菓子を出す」「テレビが見れる」「高級タバコを吸える」といったものです。
そもそも、そこでコミュニケーションをとる事自体、家主のサービスです。

家主とのコミュニケーションは、応接間としての最低限のサービスですから、
これはSNS本来の機能と言ってもいいでしょう。

現代人の多くは、SNSという応接間に「高級調度品」や「子供や孫の工作品」を置くようになったのです。
家主とのコミュニケーションも、そうした高級調度品や子供が作った工作品を話題にして展開できます。

ということで、今のSNSに足りないのは「お茶やお菓子」ということになります。
SNSでお茶やお菓子に相当するものはなんでしょうか。

やっぱり「盛る」時代に変わりはない:評価経済社会の台頭

つきなみな結論になってしまいますが、SNSによって個人の応接間が広がっていった先にあるのは、評価経済社会の台頭です。
このあたりのことは、岡田斗司夫氏の『評価経済社会:ぼくらは世界の変わり目に立ち会っている』や、
家入一真氏の「なめらかなお金がめぐる社会。あるいは、なぜあなたは小さな経済圏でいきるべきなのか、ということ」が詳しいです。

ただ、今回は評価経済社会について論じるのではなく、
その前段階がSNSで発生するだろうという話をしてから、この記事を締めたいと思います。

 


どれだけ応接間に高級調度品を並べても、その人の価値は一定以上は高まりません。
おなじく、たくさんの家族写真や子供が書いた絵を並べても、やっぱりその家の家族が本当に幸せだとは思えないのです。

なんだかんだ言って、応接間で喜ばれるのは「お茶とお菓子」です。
未だにインスタ映えを追いかけている人たちは、このことに気づいていません。
相変わらず「今回手に入れた壺は、まだ存命している人間国宝が作った最新作で・・・」などと言っています。

「お茶やお菓子を出す」といっても、SNS上でジュース代をカンパするとか、ポテトチップスのクーポン券が手に入るようにするという話ではありません。
自分がどれだけ「この社会やコミュニティに奉仕しているか」をアピールすることを指します。

つまり、自分がどれだけ「いい人」なのかをアピールすることです。
それも、インスタ映えやチルと同様、「それとなく」、「嫌味なく」です。
それがこれからの時代の「自分の盛り方」です。

もう既に似たような取り組みをしている人を見つけることはできるでしょう。
分かりやすいのは、仕事で「社会貢献」をしている姿や、「ボランティア活動」を紹介するものです。
しかしこれではまだ、応接間に置いてある「トロフィーや表彰状」のようなもの。
見ている側としては羨ましくないわけじゃないけど、そんなものを見せられても嬉しくないのが実際のところです。

広範囲に喜ばれることでなくても構いません。
大きな経費がかかることでなくても、地味でもいいんです。
それはまるで、応接間で差し出されるお茶やお菓子のように、誰もが、
「あ、それをやってくれたんだ。ありがとう」
と思えるようなことをアピールするのです。


その先駆けになっているものとすれば、
以前サッカーワールドカップで有名になった、
日本代表サポーターのスタジアム清掃が典型でしょう。
「観戦後、最後は皆で片付けたよ」
とかいう投稿を、なるべく嫌味なく出すわけです。

日本人の特性上、「皆で◯◯をやってあげた」
といったパターンが多くなると思います。
「バス・電車が満席だから私達の一団が譲ってあげた。帰りは皆で楽しく歩いた」
「居酒屋が貸し切り状態だったから、皆で一発芸を披露して楽しんでいたら、お客さんが集まってきた」
といった投稿です。

あくまでも「自分たちが楽しいからやっていたら、結果的にそれが周囲のためになっていた」というアピールです。

大学生であれば、例えば過去記事でも紹介しているような、
大学の授業を動画撮影する学生チームを作る
というのが典型例です。
その大学で授業を履修している人たちにとっては、
お金を払うほどのことではないけど、この上ない感謝の思いを寄せられます。

そういう活動をしている人を、他人は「いい人」だと思いますし、
これによって授業中の私語はなくなります。
動画を撮っている学生に、皆が協力したくなるからです。
さらに、教員も適当な授業ができませんから、
分かりやすく楽しい授業になるよう工夫するようになるでしょう。
結果的に、その講義内容や受講態度の質は上がります。


彼らの行動は、その大学・履修者というコミュニティから「高い評価」を得られます。
この高い評価を元手として、彼らは次の活動に移れるのです。
そのなかには、「どれだけ高いお金を積んでも買い取れない」ことを、
「君たちがやるんだったら」という評価によって買い取ることができるものもあるでしょう。
この仕組みが、将来的に「評価経済社会」となっていくと私は思います。

コメント

タイトルとURLをコピーしました